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YUKIPEDIA

小二で挫折、中二病を引きずり、高二で転落、現在第二の人生を歩む!

実体験に基づくトラウマとフラッシュバックの考察

無給 無給-社会

就労支援事業所の同僚(と言って良いのかどうかも不明な勤務先だが)に言われた。

 

「ヤマトさんはトラウマが沢山あるのでは?」

 

その同僚は精神医学を概論ながらも多く学び、国家資格を取ろうとしている。

彼には私がそう見えるらしい。

私は戦慄して、同時に力が抜けた。

当たっていたからだ。

 

トラウマを簡単に説明すると、少々ややこしいことになる。

その理由は、

「私、昔腐った缶詰食べてお腹壊したからそれがトラウマ」

そう言うテンションでカジュアルに遣う人と、

「私、昔交通事故で全身の骨が砕けて死にそうになったからそれがトラウマ」

と言う風に深刻に言う人の二種が存在しているからだ。

 

本当の意味のトラウマは、どちらなのか?

 

精神医学的には後者。

死を否応なく意識する程の傷害体験による強烈な心の傷、と言うのが正確。

腐った缶詰を食べて腹を壊した、と言うのはそれに合致しない。

自分で腐ったものを食べて、腹を下している訳だからだ。

 

 

かく言う私の話。

有無を言わさず無理に経験させられた恐怖体験、それがある。

あり過ぎて訳が解らなくなり、最終的に他の記憶と混ざって忘却してしまった位に。

もしかしたら人間の記憶回路の自衛本能とは、そう言うものかも知れない。

 

フロイトはこう言っている。

 

「忘れるのは、忘れたいからだ」

 

忘れたいからこそ、苦し過ぎる記憶は消去されるのではないか?

 

だとすると、トラウマとして個人の意識に上る記憶。

それは厳密な意味でのトラウマとは違うと言える。

 

 

ここで私は、自分のある精神衝動を例に挙げたい。

フラッシュバックだ。

 

フラッシュバック、これも説明するのがややこしい。

 

「シャブに手を染めた結果、禁断症状でフラッシュバックが起きる」

と言う訴えと、

「何気無い瞬間に、過去の断片が蘇って来てフラッシュバックを体験する」

の二種の発言が巷に出回っているからだ。

 

これも精神医学的には、後者をフラッシュバックと呼ぶ。

前者も勿論、同名の経験なのだけれども、本質的に違っている。

シャブとは所謂覚醒剤のことだ。

その効果の残遺として体験されるフラッシュバックは、また別の分野。

ここでは精神のフラッシュバックについて話したい。

 

 

私は日常に於いて、度々フラッシュバックに襲われる。

それはシャブに手を出そうと思う位の恐怖感情だ。

しかし、もしそうした場合、今度は二種のフラッシュバックを体験する事となる。

これは何としてでも避けたいところ。

只でさえ、精神的フラッシュバックは恐ろしい。

 

自分の中での括りで、フラッシュバックの背景に存在するのが、トラウマだと思う。

つまり、トラウマと言う大きな土地の中で、フラッシュバックが突出している。

視覚的に例えると、そう言うことだ。

基本的にいつもトラウマ状態と言うテンションで生きている。

その中で精神が大きく傾ぐ瞬間、これがフラッシュバック。

私は自分の経験をそう位置付けている。

 

だからと分類したところで、両者が緩和したり、消失する訳でもない。

ただ、

「あ、そうなんだ。

 私ってこう言うものと付き合わなきゃいけないんだ。

 めんどいなぁ」

そう自覚が出来る程度の効果しかない。

めんどい、そう思えるテンションに至るまでにどれだけ時間が掛かったか。

 

めんどい、実はこの単語でも私はフラッシュバックが起こる。

学生時代、同級生の女子に

「あんためんどい!死んだらいい!」

と言われた体験があるからだ。

 

うるせえ!

自分がそうだなんて生まれた時から自覚してるんだよ!

お前なんかに言われなくても分かるわ!

変な節介すんな!

 

その節介の所為で、私は「めんどい」と聴くと、こう連鎖反応が起きる。

 

フラッシュバックとは、自分を虐げるだけのものではない。

「こいつ殺したい!」

「世界が滅びればいい!」

そう言う自棄糞な気持ちも含まれると思う。

結果的に、自分が痛め付けられることには間違いが無いからだ。

 

今でも、「めんどい」事件の相手の顔が、単語を想起すると浮かぶ。

普段は意識に全く上らない為、トラウマとは違うと思っているけれども。

般若の様な形相で喚き立てる中学生女子と、その前に立つ自分。

私は泣きも出来ずに呆然としていた。

 

私のことをこれまでに嫌っている人が居るのか。

いや、寧ろ憎んでいるよね?

死んだらいい、って同い年の人間に断定された。

しかも中学生同士の遣り取りで。

 

当時の私はそう言う事を思っていた気がする。

忘れたいから忘れる為、あくまで現在の自分による推測でしか無いのだが。

詳細は最早、不明なのだ。

これがトラウマなり、フラッシュバックなりの本質だと感じる。

 

 

しかし、自分の行動によって、相手の中枢がここまで傷付く。

それは人間関係を構築する上で、肝に銘じておくべきだ。

私は少なくとも、それを最悪だと思う。

「コミュニケーションって難しい」

とはよく言うけれども、これは難しいを超越している。

 

一言で言うならば、コミュニケーションは凶器に成り得る。

だからこそ、いじめを苦に自殺する人が絶えないのでは?

 

学生時代から継続して疎外されていたのは、私も一緒だ。

今では、もう人と付き合うのが嫌で、自分のことを自発的に話さない。

只でさえトラウマ状態にあるのに、わざわざフラッシュバックの種を蒔きたくない。

正直な気持ちを書くと、そうだ。

 

これは、コミュニケーションを諦めた人間の話。

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