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YUKIPEDIA

小二で挫折、中二病を引きずり、高二で転落、現在第二の人生を歩む!

誰かが土足で入り込む

無給 無給-自己

最新ヤマトユキ起動情報。

私はある精神科病院に通っています。

そこの職員の間で、私が書いた原稿が読まれているそうです。

いや、このブログではありません。

統合失調症の自分の姿を描いた、真面目文章です。

 

人生をぶっちゃけました。

自殺未遂も電気痙攣療法も記憶喪失も自傷行為も。

それを読んだ人はこう言いました。

 

「文体は凄く淡々としているけれども、内容が壮絶」

 

それは私の狙ったところです。

内容と文体が両方とも悲惨だったら、読者は付いて来られないだろうと。

私は自分の人生しか生きていないので、本当に悲惨かは判断し兼ねるところですが。

でも、周りの人達を見ていると、こう思います。

 

「甘いよ」

 

皆、凄くプライベートな事で自己中心的に悩んでいるな、と。

自ら望んで呼び寄せた結果で。

それを踏まえて嘆いても仕方の無い話です。

責任が取られないならば、はじめからしなければいいと思う。

 

かく言う私も、偉そうな事は言えません。

責任を無視しないと行動に移せない時も、当然あるからです。

けれども、最終的には誰かが何かしら、結果を掬わなければならない。

それを回避しようとする人が多過ぎる。

 

醜い。

 

私はそう思います。

 

独り暮らしをして、改めて気付かされることですが。

子供とは楽なのです。

親が自分の回避した落とし前を付けてくれるから。

しかし、もう私はそうは行かない。

と言うか、この事実に電気痙攣療法を食らわされた瞬間から気付いていました。

 

ある人はこう私に言葉を掛けたのです。

 

「駄目な親はやっぱり駄目」

 

それは、冒頭に出て来た原稿の内容からも推測が出来る、と言われました。

 

私の両親は混乱の余り、正常な判断が当時出来なかった。

とは言え、娘のその後を本当に考えられたならば。

加え、処置の悲惨な響きを正常に捉えられていたのならば。

こう言った日常的な生き地獄を、私は送っていたのでしょうか?

 

血の繋がっている筈の両親でこの調子。

それで、誰を信じられるのかと言う話。

 

統合失調症の原稿には、前向きな内容だけでなく、自分の暗部も書いています。

人間は陰と陽がありますから。

そのコントラストが強過ぎて、皆は私の元から去って行きます。

この責任は、私が負わなければなりません。

別に好きで電気、流された訳では無いのですけれども。

 

いつも放置されますから。

私は。

 

放置、と言う単語で思い出したのは、元友人のこと。

一回会ったきりの関係で終わりました。

以前このブログに書いたことがありますが、

「無理して生きる人は苦手」

そう言われて敬遠されたのが事実です。

適当に弄ばれて終わってしまいました。

 

 

皆私の何が良くて寄って来るのでしょう?

そして、最終的に放置するのは何故でしょう?

 

分からない。

分からなくて頭が痛くなります。

自分で本当に分かるのは、自分のことだけでは無いでしょうか。

だから責任も、自分の事を先ず取るべきだと。

 

私は友達にしろ、彼氏にしろ、最後には見放されます。

だから完全に心は開かないと決めているのです。

開いたら、血が噴き出して傷も開くだけだから。

私は人間不信でしょうか?

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