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YUKIPEDIA

小二で挫折、中二病を引きずり、高二で転落、現在第二の人生を歩む!

障害者言語式=死ぬために生きる=生まれてそして死ぬ

日常-就職 日常

障害者。

家族離散。

高校中退生。

福祉的就労中。

自殺未遂歴多数。

電気痙攣療法体験者。

 

これが全部自分に当て嵌るから、現実とは恐ろしい。

 

 

元彼氏にこう言われたことがある。

「なんであなたにだけ、こんなに辛いことが重なるんだろうね」

 

そうっすか?

私にだけ、の話なんですか?

 

と私は率直に思った。

 

 

と言うのも、私は自分の人生しか実体験したことが無いし、そもそも重度のひきこもりだった過去もあり、他人や世間を知らない。

その為、彼がそんなことを言っても、私本人は至って実感も湧かず、ただ一言、

「はあ」

と答えるしかなかった。

 

こう言う人間がフツーに、この社会の歩道なり交通機関なり販売施設なりを利用しているから、やはり世間は恐ろしい。

 

 

私は発達障害者、且つ、二次障害にて統合失調症を発した精神科の患者だ。

 

二次障害とは、発達障害による不安感、劣等感、焦燥感と言った自己否定感から生じる精神疾患だったり、身体疾患だったりすることの総称。

私はこれでストライクを狙える。

と言うより、既にストライクを記録している。

 

就職活動を始めるにあたり、ハローワークに医師の意見書を提出した。

障害者はそうしないと、障害者部門での本格的利用が出来ない。

とんでもないジレンマがあるものだ。

そしてその意見書の病名には、思いっきりこう書かれていた。

 

氏名:○○○○(=私の本名)

病名:発達障害統合失調症

 

私は意見書を見て思った。

この書き方だと、一般就労は無理じゃね?

 

 

現在、福祉的就労をしている私。

障害者と言うことで容赦なくこき使われ、反面、福祉的だからと言う名目にて、通勤費すら出して貰えない就労方法を否応なく選ばされている。

こう言った現実から抜け出したくて、私はハローワークに通い続けている。

 

しかし、転職をサポートするはずのPSW精神保健福祉士)は、人の生活費と人生が掛かっていると言うのに、他人事の目でしか私達のことを見ない。

現実、私の働く施設では専ら、そう言った風潮が蔓延している。

その証拠として、今日は終業間近に、立て続け三件同じ内容の電話が来た。

 

私「はい、就労支援事業所○○です」

相手「●●ですが、施設長(=PSW)は居ますか?」

私「今不在です」

相手「では、いつ戻られますか?」

私「すみませんが、分かり兼ねます」

相手「そうですか・・・施設長、また、居ないんですね・・・」

 

これを三回リピート。

 

私は施設の利用者の筈なのに、代表して名前を名乗って電話に出て取り次ぐ役を背負っている。

なのに時給は非常に低い。

「こき使う」と言う言語はこの事実の為に存在していると自身では思っている。

 

施設のスタッフは、私達利用者の時給の現実を知らなかった。

「時給は八百円位出てるんでしょ?」

そう言われたのだ。

出て居たら障害年金なんて受給したくはない。

 

 

不幸中の幸い。

私のこき使われ労働力はある意味で重宝されているらしく、利用者の中ではトップクラスの時給の高さ。

しかしその労働量は半端が無く、毎晩寝る前になると耳鳴と吐気と眩暈に襲われる程の疲労が体を蝕むのだ。

苦痛で逆に眠れない。

 

それだから、私は眠剤を吞んでいる。

 

逆パターンとして、労働から帰ってきたら疲れ過ぎていて、その時ならば直滑降に悪夢落ちが可能。

リアルに悪夢なのだ。

良い夢を見た記憶がここ数年無い。

最終的には真っ黒に塗り潰されて終わる夢ばかり。

息を切らしながら起きて、現実にまた落胆することが数限りなく増産されている。

 

 

寝たらもう醒めたくない。

 

醒めても寝ても悪い世界しか迫って来ないからだ。

 

 

その中、私のことをこう称する人が増えてきた。

「ユキさんは、周囲に翻弄されながらも必死に生きている」

 

 

生きるのに必ず死ぬと言うのは、真実だ。

私はそれを体現していると言うのも、真実だろう。

毎日自分が死ぬことを考えながらも、生きる手立てをする。

それは矛盾した姿だろうか?

 

死ぬために生きる=born to die=生まれてそして死ぬ

 

こう言った言語式を作った。

人間はいつか死ぬ。

それは分かり切った事実の筈が、皆必死に目を背けているのか気付いていないのか実感していないのかが、私には分かり切らない。

不思議で堪らないのだ。

 

障害者は、この言語式を嫌でも実感している存在だと思っている。

私は、実際そう言った感情に支配されることばかりだ。

常に死と隣り合わせで生きている。

それは自分が自分を殺したい、そう言った欲求から来るものでもあるし、いつ自分がそう言った衝動に突き動かされて死ぬのか、そう言った空想から来るものでもあるだろう。

 

 

前出の施設で一緒に働く、ある女性障害者は、こう零していた。

「背中を誰か刺してくれないかってしょっちゅう思うよ」

この言語式で、解釈が可能な発言ではないだろうか?

 

健常者が自分の事を

「自分は健常者だけれども、」

と称すると、本気言って本音言ってまじでムカつく。

こちら側からすると、

「自分は普通の人間だからねぇ、」

と言われているようにしか聞こえないのだ。

 

健=すこやか

常=つねに

者=人間

 

障=さしさわる

害=困った

者=人間

 

このネーミングを日本語のみならず、地球上の言語からすべて取り除いて欲しい。

私は文字と言う方法で闘う。

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