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YUKIPEDIA

小二で挫折、中二病を引きずり、高二で転落、現在第二の人生を歩む!

『並行』(27)―本当にバカなのは誰だ?

創作-並行 創作

 射し込むブラインドからの光が小さくなった。それに弱く私達の陰が映し出される。端詰は、受け持っている学生が死に追いやられそうな局面に於いても、私と中村にはこう言い放った。

「論文は、一月二十日の十六時までに学生課へと提出すること。今回は上野さん、あなたも特例で、です。いいですね?」

 何処かへ逃走して戻って来ない別田。下北は七階から身を投げて意識不明で重体。子供と一緒に死の世界へと渡りそうな他山。

 現時点で肉体的に無事な『外部』ゼミ生は、私と中村しか居ないと言う局面で。

 

「・・・」

 これが中村。

「・・・まじっすか」

 これは私。

 それだけしか反応が出来なかった。

 

 頭は痺れ、受け付けるものが無い。けれども脳内の誰かが、「今こそ論文の書き時だ」と言う醒めた声を出していた。

 

 そうだ。今こそが本当に『死に至る病』を体験している時間の筈だ。これを逃すと、私は、四年生が行っているややこしい就職活動を行い、せせこましく生きていく運命が待ち構えているかも知れないのだ。

 そんなことは絶対に避けたい。

 私は楽をしながら生きたい。

 現在を逃す手は、無い。

 

 私は中村と端詰と三人で突っ立っている。

 集中治療室横の廊下にて、私は腹を括った。

 

 書く。

 最高のものを書いて、自分を救う。

 既に、他人を踏み台にして足蹴にしているのだから。

 

 

 今日から起算すると、論文の締め切りまで、残り二週間少し、あった。

 学内はずれの空き地めいたグラウンドの端。夕暮れの中。

 私は今まで書いた文章をすべて破り捨てて、設置されている焼却炉へ放り投げた。そして、皆には隠れて吸っている煙草、それに使用するライターを取り出すと、指を滑らせて火を点けた。

 炎が頂上で揺れる。

 私はそのライターごと、先の文章と同じく、焼却炉へ放り投げた。

 

 一瞬、辺りは沈黙した。

 

 轟音が立ち昇った。一気に上空へと煙を立てて燃え盛った論文。下書きを書いた紙の破片が舞い上がる。それは何かの悲鳴に近いものがあった。私を消さないでくれ、どうか殺さないでくれ、助けてくれ、そう言った叫びに聞こえた。

 それは出来ない。私には出来ないのだ。

 こんなものは、棄ててやる。

 

 轟音へと学生が集まってくる気配を感じた。私は焼却炉から離れ、哲学文庫へと静かに向かう。

 哲学文庫、そこは下北が私を犯した場所。それを見ていた中村。中村は別田に気に入られている。

 でも、それならば何故、別田は他山を妊娠させたと言うのだろうか?それが理解出来ない。私の中には、この疑問が今更ながら生じた。

 何しろ本人達が不在、若しくは重体なので理由を考えても分からない。でも、分からないことには大変に気持ちが悪い。そして、そう言うことは誰かが大抵理由を知っているものだ。

 では、その『誰か』とは?

 

 私は哲学文庫のキルケゴールの棚まで来ると、電話を掛けた。外はもう暗かった。午後六時を回ろうとしている。文庫内は暗闇に近かった。

 耳に当てている電話機の発信音が、通話音声に変わった。

「上野ですが」

「・・・何?」

「中村さん。訊ねたいことがあります」

 私は中村に掛けたのだ。

「別田さんの件なのですけれども」

 暫く押し黙った、中村。

「・・・別田、くん?」

「はい。単刀直入に言います。何故他山さんと寝たのでしょう?彼は」

「・・・」

「ご存知ではありませんか?ゼミの皆さんで、私以外で、別田さんの大学院進学の話を共有されていたのでしょう?」

「・・・知ってたの、そのこと?」

「はい・・・こちらも単刀直入に言っていいでしょうか?」

「どうぞ」

「あんた、バカじゃね?思考体系大丈夫か、そんなこと気付くわ、とっくの昔に簡単に!教えろやボケ」

 中村は受話器の向こうで、唾を呑んだ。そう言う音が聞こえてきた。

「・・・じゃあ、言おうか?あなた、傷付くと思うから皆で黙っていたんだけど」

「傷付く?はあ?笑わせんな!誰がそんな気遣い要るなんて言ったんだよ」

「こちらの気持ち、あなたは考えたことある?」

 

 私は言葉に躓いた。

 考えたことはある。あるのだけれども、その中村が言う『気持ち』は、私の捉えているニュアンスとは差異があるように聞こえてならなかった。

 

「・・・どういう事でしょう?気持ち、って」

「私達は、あなたと関わりたくないから、タッチー接触、しなかった」

「関わりたくない?」

「だって下北くん、言ってた。”上野さんはいつも何かに怯えている”って」

「はい?私も下北さんにそう言われましたけれども、何か?」

 発言とは裏腹に、私の心臓の鼓動は高く鳴った。核心を突かれたと思った。

「何か、って具体的には、何だよ?言えよ中村さん」

「そう言うことば遣いからして、あなた虚勢を張ってるの、見え見えなのよ」

「・・・そうっすか?じゃあ、丁寧に言い直しましょうか?」

「止めたら、強がり。あと演技も」

「強がり?演技?」

 現実を直視したくなくて、私は思わず右側に視線を逸らした。

 

死に至る病

『あれか、これか』

『おそれとおののき』

『不安の概念』

『序文ばかり』

 

 並んでいるキルケゴール著作の題名は、私の行動をすべて示唆しているように感じた。

 

 気持ちが悪い。

「・・・では、そう仮定したとしても、何だと言うんです?傷付くから言わなかった、っていう事情は?」

「あなた、内面、脆すぎるよね。他人の意見、真意を聞くと、潰れるタイプ」

「・・・そうですか?」

「ゼミの皆も、外部先生もそう話してる、いや、話してた・・・になるか。で、事情、言うときっと完全にダメになるよ?上野さん」

「・・・言ってみてくださいよ?」

「いいの?」

「言えよ」

「・・・じゃあ、言おうか」

 文庫内は、暗闇で完全に何も見えなくなっていた。

 

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