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YUKIPEDIA

小二で挫折、中二病を引きずり、高二で転落、現在第二の人生を歩む!

『並行』(20)―本当にバカなのは誰だ?

創作-並行 創作

 自分が地獄に墜ちるのは容易いことだった。

 元々から私の心はそこに居たのだ。

 本心を殺しまくって上っ面でしか生きられない人生、そのどこが皆が憧れるような素敵で素晴らしい人生だと言うのだろうか。しかも、下北はじめゼミ生を自分の論文に巻き込もうとしていた自分。その姿を俯瞰すると、地獄などとは比にならない位の精神的かつ肉体的な震えさえ出て来る。

 自分が恥ずかしくてどうしようもなくて、自分の計算高さが寒くて恐ろしくて、居た堪れない。客観的に捉えた私の姿は、そうだった。

 

 対し、その発見は、私の脳内に一撃の強烈な光と影を差した。

 理解した。私が死ぬ思いをしたら、本当にリアリティのある論文が書けるのだと。

 

 

 次の朝、ゼミ生の皆は私を驚きの目で見つめて動かなかった。

 論文が仕上がって余裕ぶっこいていたはずの上野さんが、何故か一心不乱に机に向かっている。

 誰にも言われず、突然根を詰めて執筆を始める私の姿に、周りは息を呑んだ。

 

 私の論文の主旨は大きく変わった。

 死に至る病の『絶望』は、自分に対して働きかけることを大前提として存在している。自分が他人を殺すよりも、自分が自分を殺す方が容易いし、より現実的だからだ。加え、それは自己内部での過程結果問題の為、実行したとしても誰からも罪に問われない。

 つまり、キルケゴールは自殺の自己実現可能性を追求したかったのではないか。

 私はその論旨を半時間足らずで組み立てた。

 

 死んでいるのと、生きているのと、どちらが果たして自己にとってマシだろうか?

 

 これが私の論文のテーマとなった。

 

 右手に持っているボールペンは、書き殴りを止めなかった。誤字を書いたとしても、上から力任せに黒で塗り潰す。それは私の心の穴を無理に塞いでいる感覚に似たものがあった。でも、穴は数知れず存在するし、誤字は限り知れず増えていくばかり。

 生きているよりマシ?

 死んでいるよりマシ?

 私の心は何もかもをスルーしていた筈なのに、フィルタは感情だけを見事に捉えて保管していた。そこを引っ繰り返すと、今まで殺していた筈の言いたかったこと、苦しみ、悲しみ、不満、その他抑えていた感情が、噴出して露出し、止まらなくなった。止まらないのは感情だけではなく、心に空いていく虚しさの空洞も。

 私は一体何がしたかったのだろう?

 自分を引き留めて、他人を欺いて、そこまでして、生きる価値はあったのだろうか?

 

 集中力は途切れない。

 目を上げると、ペンを執ってから四時間半が経過している。時計が八の目盛から十一と半分の目盛まで、知らない間に針を移動させていた。私に全く疲れは見当たらない。自分の内部を掘り下げて吐き出し、書くことが必要だと思っていた。そうしないと私は今の状況で、絶対に潰れてしまう。

「上野さん、食事にしましょう」

 外部がいつもとは違う、恐れ入った声色で私に呼び掛ける。

「先生、私は食事、要りません。書かせてください」

「あなたが潰れますよ?無理しないでください」

「書いている限り私は潰れません」

「でも、」

「いいんです。学生の本分は勉強、ですよね?せんせ、」

「上野さん!」

 教授にまで私は見捨てられたのか、それとも心配の余りにそうされたのか分からなかった。私は外部に頬を張られた。

「・・・せんせい」

「いい加減にしなさい。自分の事ばかり優先されるあなたの姿は、見ていて痛々しいです」

「じぶんのことばかり、ゆうせんする」

「そうです!ゼミの皆さんから伺いました。妊娠しているというのは、嘘だったのですね?」

「うそ」

「私が確かに一番に言い出しました、このことについては。でも、あなたがあの時にはっきり否定すれば話は大きくならなかった筈です!」

「はっきり、ひてい」

「それからもあなたは嘘に嘘を重ねましたね?妊娠、中絶、結婚、などと」

「・・・それは」

「どうしてあの時、否定されなかったのですか!」

「・・・」

「あなたの哲学は一番に光るものがあります。でも、人間性は最低ですよ!」

 もう私は黙るしかなかった。

 自分の言いだしたことは自分で責任を取るべき、痛いほど分かっていた筈なのに、今、私はそれが出来ない。もはや黙秘を使うしかない。けれども、そうしたらしただけ、自分は窮地に陥っていくことだろう。

 反して、本心を述べるにしても、今更何と釈明したら良いだろうか?私は何を思って、何がしたくて、何を望んで、こんなことをしてきたのだろうか?それに関しては、心に何も保管されてはいなかった。

「上野さん?聞いていますか?」

「・・・はい、伺っておきます」

 私はそう答えるだけしか、出来なかった。

 

 以降、私は、ひとことも言葉を発せられないまま。

 そうして合宿は終わった。

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