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YUKIPEDIA

小二で挫折、中二病を引きずり、高二で転落、現在第二の人生を歩む!

『並行』(17)―本当にバカなのは誰だ?

創作-並行 創作

 バカじゃないんですか!

 下北のそのことばは、中村の叫びよりも大きく私の心の中で反響した。そうか私はバカなのか?うるせえ女を好色のままに犯す存在にそんなこと言われる筋合いねえよ、その気持ちとは裏腹に、それは真実を言い当てている気がしてならなかった。

 自分で自分の性格をこう、と把握している奴は大抵愚かしいことに気付いている。何故なら、そいつは枠からはみ出すことが出来ないから。それが出来ない奴は、自分の中で生きていくしかない。そして私が正にその例に漏れない存在だ。しかも自分で自分の性格を無理矢理矯正している為、本当にひとところにはまった生き方だけしか、レールとして残されていないのだ。

 私は自習中、時間を持て余しながらも憎さと恨みと揺れの混じった眼で、頬杖を突きながら下北を見つめていた。もう一方の手ではペンを持て余している。他の皆は言葉も発さず視線も外さず、論文の最終稿を仕上げようと原稿に向かって躍起になっている。もしかしたらバカな上野さんに自分はせめて勝たなければ、彼等はそう思っているのかも知れない。

 

 私の書いた論文の主旨はこうだった。

 

 死に至る病は、何者かが他者に与える絶望によって成り立つ。絶望こそが人間を死に陥れるが、それは人間自身が存在しないと成り立たない。つまり誰かが死ぬ為には人間が自分も含めて必要であり、それの考察を私は実践した。 

 そして、私が貶めた下北の精神的転落と外部ゼミの分裂像を、私の目線から書く。

 

 この論文に何か足りない気がしていた。だからこそ、無理に理由をこじつけないで、好きでもないゼミ生達との合宿に参加したのだ。しようと思えば、風邪引いただとか、すっ転んで右手骨折して文章が書けませんとか、子供失って絶望のあまりに自殺未遂しましただとか、言い訳は幾らでも思い付くし、出来る。

 何が足りないのか?私は頬杖を更に深くついて、古い漆喰の机の天板の染みを見ながら考える。

 転落と分裂。それは、徹底的なところまでは行っていない。人間が死に至るには、そのものが本当に終わりを迎えなければならない。でも、本当にゼミ生を肉体的に殺すわけにもいかない。そうしたら私の人生がどうなったものか分かったものではない。

 どうすれば良いのか?

 

 考えている内に、外部が設定した時計のアラームが鳴った。

「さあ、皆さん。夕食の時間です。その後入浴したら就寝です」

 

 夕食も宿主は「これが歴史だからね!うちの!はっはっは」と頑なに主張し、粗食過ぎるものを出してきた。白米に味噌汁、漬物、以上。

 さすがにこれにはゼミの皆は苛立っていた。

「あの、ここは旅館ですよね?雪の宿ですよね?」

 中村が眉を顰めながら宿主に詰め寄る。どうやら元々のヒステリックな性格に、論文執筆のフラストレーションがたまり始めているらしい。

「そうですよ?」

「だったら、もうちょっと豪勢なもの出して下さいよ?私達、お金払って来てるんですよ」

「うちの白米は、俺の母親の実家が精魂込めて作った完全無農薬のものですが?」

「はあ?あなたの実家じゃなくて、メニューを増やせって話なんですよ」

「味噌汁の中身をよくご覧ください。色々な具が詰まっていますけれども?」

「話が食い違っています!」

 私はそれを今回も気に留めず、しなびた漬物を齧った。個人としては食に興味が全くない。生きるために必要な栄養素を、不快な気持ちにならずに摂取出来たらそれで良し。だからメニューの増減とか、味噌汁の中身がどうこうとか、そう言う事は別次元の話。勝手にやってほしい。

 中村と宿主の口論は続く。他の宿泊者―と言っても、今日は外部ゼミ一行しかいないのだけれども―も私以外は不満で一杯らしく、宿主と食事内容を睨みつけている。別田も中村に加勢して、狭い食堂は騒ぎが増幅し始めてきた。

 うるせえ!

「すみません、私お先します。ご馳走様でした」

 私は自分の意見を賛成とも反対とも言わず、食べ終わると、そそくさと扇の間に戻り、着替えを持って風呂に向かった。

 

 ゼミ生女子、中村と他山に自分の入浴姿を見られるのはプライドが許さない。別に目撃されたところで何かある、と言った訳では無いけれども、一回中村には下北に抱かれている私の姿を見られているのだ。それだからか、特に中村へ自分の裸を再度見られるのは、心が落ち着かない。

 浴場だけは、この宿で唯一感心出来る作りだった。学術研究所五百四号室の三倍の広さはあろうかと言う面積の中央の窪みに、温泉から引いて来たと思われる白い湯が絶えず竹の管から流れ込んでいる。それを取り囲んでシャワー台と洗面器、椅子が十組セットされていた。

 私は服を脱いで椅子に座ると、思わず口にした。

「つかれた」

 零れ落ちたその一言は、湯気の立ち込める密閉された浴場で、あてもなくどこかへ消えた。

 つかれた。つかれたのだ。自分にも他人にも人生にも。

 人の目を気にして生きる生き方ほど下らないものはない。けれども私はそれに則ることが出来ない。本当は『いい人』の振りなんて演じる必要なんてありはしない。けれども私は、それ以外の方法で上手く人生を切り抜けていくことが思い当たらない。演技をするしか、私には出来ることがない。

 だから、自分のありのままの姿を、誰にも見せられないのだろう。

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