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YUKIPEDIA

小二で挫折、中二病を引きずり、高二で転落、現在第二の人生を歩む!

『並行』(7)―本当にバカなのは誰だ?

創作-並行

 気付けば日差しは弱まり、風は体をすり抜け、空気は乾燥していた。

 秋だ。

 私と下北の関係の噂は規模も教室も狭いゼミ内で、今のところ表面化することはなかった。裏で「上野さんと下北君、付き合ってるらしいよ」と言われている雰囲気は察していたものの、直接それを私に訊いてくるものは皆無だった。きっとデリカシーの無い質問だと思われているのだろう。

 下北はと言うと、最初はどもりながら私の名を呼んでいたけれども、最近は落ち着いて「さつきさん」と発する様になっていた。比例して、私に対しての熱烈な視線を遠慮なく向ける様にもなっていた。ホテルに行くまでは、目線を当てたり外したり、忙しかったのに。

「ね。さつき、私、何とか前期の単位、落とさずに済んだよ。殆ど『可』だったけど」

 一緒に学食にてAランチを食べていた他山が安心しきった顔で話してきた。

「ああ、そうだったね。前期試験の結果、出てるんだよね」

「そうそう。もうー、まじで緊張したわ。心臓の鼓動、ってこれなんだぁ、ってよく分かったわ」

「私も見に行かなきゃな。いつも通り、学部掲示板に貼ってあるよね?結果」

「うん。てか、さつきは余裕だねぇ。評価、いっつも『優』ばっかりだもんね」

「いや、私は体育とドイツ語は散々たるものだったけど」

「それ以外は余裕じゃなかった?」

「まあ、そうね」

 私はランチを食べ終わると、返却口にトレイと簡素なプラスチックの白い食器を戻し、他山と一緒に掲示板へ向かった。

 結果。

 全部、優等評価。

「すっごい!流石、さつき!」

高卒認定出身者なのにね、私。何が良いんだろうね」

「そんなの関係ないよぉ。私なんて高校出てても、落ちこぼれだよ?」

「恵ちゃんはテニスをちゃんとやっているじゃない。それで単位も落とさないって凄いことだと思うよ?」

 そうか?心の中で私は相変わらず相反する事を考えていた。

 テニスは他山自身の選択で始めたことであって、それで自分の単位や進級を危ぶむのはおかしい構図だと思う。その位ならば、私だったら勉強に励むけれども。しかもそう言う状況下で、私の成績を羨む。何か勘違いしていないか?

 まあ、それらも概して他山の一存に委ねられているから、私がどうこう言える問題ではない。だから何も言わない。正直に言うと、他山が留年しようと部長になれなくても私には関係ない。

「じゃあ、私、ゼミの論文のヒントを探しに、哲学文庫に行ってくるね」

 私はそう言って、他山と別れた。

 

 哲学文庫、とは私たち哲学科の学生の俗語。正式な名称は、H学院大学図書館哲学科論文書庫。略して哲学文庫。文庫、と言われて入学当初は文庫本が延々並べられている光景を連想してしまったけれども、違った。そこは古今東西の哲学に関する文庫のみならず、ハードカバー、論文綴り、大全集などがH学院の力で出来る限り納められていて、学生証を図書館係員に見せることで、哲学科の学生だけが利用することが出来る場所。基本的にいつも薄暗く、人の気配はない。と言うか、誰かいる方が珍しく、物音がするだけで体が咄嗟に反応してしまう位の静けさだ。

 私は図書館に入ると、通路の両脇に置かれた机に向かう学生の間をすり抜け、係員に学生証を見せた。

「哲学科の学生です。哲学文庫を利用させてください」

「はい。確認しました。どうぞ」

 係員は簡潔かつビジネスライクに答えると、私に階段への登り口を指した。

 階段を上がると、息切れがする。これから四階まで自力で行かなければならないと言うのに、五、六段踏み出しただけで眩暈までする始末。どうやら私は今、疲れているらしい。この前寝落ちした下北を引っ張っていったのが未だ体に残っているのだろうか?

 肩で息をしながら、何とか哲学文庫へたどり着いた。

 今日の目当ては、世の中にどう言った哲学的、かつ精神的な病があるのか知ること。下北を肉体的に病にさせるのは困難だろうから、こちらの方法でアプローチしようと思っている。精神的な病だったらメンタルヘルスのコーナーを閲覧するべきだとは分かっていたけれども、やはりここは哲学科学生の意地。少しは自分の行動にいつでも哲学を加えたい。

 取り敢えず、キルケゴール著作の棚に行ってみた。

 全集は何故か全巻揃っていないのがいつも。誰か借りっぱなしなのか、それともH学院の収集怠慢か、単純に発行されていないのか、それは知らない。

 何冊か原書と訳書、解説書が揃っていた。

『あれか、これか』

『反復』

『序文ばかり』

『現代の批判』

等々、私にとって刺激的な題名が多い。好戦的だと思う。

 原書は当然読めない。と言うのも、キルケゴールデンマークの人間だったからだ。そこの言語は分からない。何のためにこの大学はこんな書物を購入したのか謎だ。私の読むものは日本語か英語で書かれた訳書と解説書に限られる。

 手っ取り早いのは解説書に当たることだと思って、私は一冊手に取った。

 

死に至る病に繋がる病』大和由祈・著

 

 これだ!と思った。巻末の註を見たら、これは初版三千部しか発行されていない、極最近の解説書らしい。著者概略にはこう載っていた。

 

大和由祈(やまと・ゆき)

一九八五年生。S学院大学神学部卒業。キリスト教哲学を学び、本作が初めての著作となる。

 

 へえ?と思った。私とそれほど年齢が離れていない印象を受けたし、S学院大学とは確か、九州にあるそこそこ有名な準一流の私立大学だが、神学部?どう言ったことをしているのかよく分からない。と言うか、そう言った学部があることも認識していなかった。

 でも、キリスト教哲学と言う部分では、この著者は私に近いことだろう。名前は筆名だろうか。どうやら女性みたいだけれども。

 およそ百ページの薄く軽いその新書を取ると、私は目次から目を通した。

 

序文・困ったと思うならキルケゴール

第一章・実存に困ったときにキルケゴール

第二章・罪と絶望に囚われたらキルケゴール

第三章・殺したい場合キルケゴール

跋文・死にたいと思うとキルケゴール

著者後書

 

 構成はこうだった。

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