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YUKIPEDIA

小二で挫折、中二病を引きずり、高二で転落、現在第二の人生を歩む!

『並行』(5)―本当にバカなのは誰だ?

創作-並行

 気を失った下北は、私の前で眠っている。と言うか、死亡状態に近いものがあるように力が抜けていた。それは息をしているかどうか、顔に手を近づけて確認してみたくなるほど。実際にそうしてみたら呼吸の感触はあり、私はある意味で安堵した。

 そう。『ある』意味だ。ここで下北に死なれては困るから。

 

 私の下北利用策略はこうだった。

 ゼミの論文、『死に至る病』の研究に、こいつを実験台、つまりモデルにする。そしてリアリティに溢れた本当の『死に至る病』に罹った論を展開するのだ。

 

 それは哲学的見地からしても、学術的見地からしても、研究的見地にしても、大変に鮮烈かつ斬新かつ現実味を帯びた興味深いものとなるだろう。

 別田の発言を思い出す。

「仮にも学校に出す論文なんだから」

 そう、学校に出すと言う事は、その道に生きるプロが一回は目にすると言う事。私の論文がその目に留まって、最終的に哲学で食っていけたら。そうすれば四年生がせせこましく苦労している就職活動とやらを回避出来る。

 私は哲学については自負がある。何せ自分に向いていると判断して入った学科だし、ゼミのみならず、試験は哲学専門科目だと、優等評価しか貰ったことがない。教養科目、例えば体育や第二外国語のドイツ語などは苦戦したけれども、三年生になって専門科目中心の講義ばかりになると、寧ろ楽になった。それは自分に哲学が合致している証拠だろう。

 楽になった理由は、もうひとつあった。

 二年生までで取得単位を稼ぎ続けた甲斐あって、進級してから一気に受講しなければならない講義が減ったのだ。だからスケジュールとして、あまり学校に行かなくて良くなった。

 高校のいじめられた光景がよくフラッシュバックする。心理学講義で習ったフロイトの説によると、「忘れるのは、忘れたいからだ」と言うらしい。逆説的に言うと、忘れたくないから、忘れない、そう言う事ではないだろうか?だとしたら私はいじめの記憶を忘れたくないのだろうか。まあ、下劣した人間には死んでもなりたくないと言う品位は持っているのが理由だと思う。

 陰口から始まり、孤立、無視、暴力とエスカレートしていった。それは男子からも女子からも。正確に言うなら、男子が始めた嫌がらせに、調子に乗りやがった女子が便乗した、と言うのが当たっている。流石に女子は暴力までは振るわなかった。しかし、言葉や態度の暴力ならば嫌だと言うほど受けた。それが今現在、私の病的な嘘吐き状態に関与しているのはほぼ間違いないと自分では解釈している。

 その学校で、私は教師に助けを求める気にもならなかった。と言うのも、進学校は勉強さえして好成績を取っていれば何も文句を付けられない場所だから。これも逆説的に言うと、勉強しなくて低成績の生徒は生きる意味がないと見做されるということ。だからこそ、いじめを受け始めてから後者に推移していった私は教師に対し、「こいつら絶対助けてくれない」そう見做してやったのだ。

 待ち受けていたのが、不登校と出席日数が不足しての留年、プライドが汚れ傷付きまくっての中退だった。

 

 死に至る病に罹って貰うために、下北には生きていて貰わないと困る。

 私は下北のポケットから財布を目立たない様に取り出すと、ゼミ生私含め五人の会計をバーのレジにて払った。勿論それは、下北の金だ。

 マスターは言った。

「お嬢さん、このお兄ちゃんをどうするの?」

 私は困った表情を作って答える。

「うーん、救急車を呼んだら、それはそれでおおごとですからね」

「そうだね。僕としてもそれは困るなぁ」

「ですね。では、私が介抱しますので、どこか別室はありませんか?休憩室みたいな」

「ああ、あるよ。ちょっと、来てくれ!」

 マスターはひとりバーテンへ声を掛けると、彼に下北を背負わせて運ぶよう指示した。私はその後を無言で付いて行く。時間は夜十二時を回っていて、店の中は男女連れが増えていた。さっきまで騒いでいたサラリーマン風は何時の間にか消えている。流れる音楽も悩ましく気だるげでゆっくりしたものに変わっていた。

「ではお客様。ここでお気付きになられるまで休まれて良いですよ」

 バーテンは妙に礼儀正しく、プライベートルームの隣にある休憩室に私達を通して、簡易ベッドに下北を横にさせるとそう言った。

「すみません。お会計は支払ってありますが、この方の目が覚めたら声を掛けますね」

「ああ、そうしてください。当店は午前三時までの営業となっておりますので、それまでにはお願い致します」

「はい」

 出て行ったバーテンが扉を閉めると、それは軽い音が鳴った。

 私は下北を見る。

 死に至る病計画を考えると、自分の閃きに快感と言う意味で寒気がした。おいおい良く思い付いたな私!そう言う名誉の称号も与えたくなった。

 哲学は基本的に概念、つまり頭の中だけで展開される理論だけれども、それに現実の出来事を足してみたらそれは非常に面白いだろう。どんな化学変化を起こすのか、実行してみたい。したくてたまらない。寒気は止まらない。

「上野さん」

 背後からしっかりした声が聞こえて、私は素早く振り向いた。下北がこれまたしっかりと目を開け、私を凝視していた。

「はい、何でしょうか?下北さん」

「さっきは酔い過ぎていましたが、全部本心です。お酒の勢いでは、ないんです。ずっと前から僕は、上野さんのことが、」

 好きだったんです。

 言われなくても分かるわそんなこと!こっちがどれだけ男性の暗い欲望を無言無行動無表情のまま受けて来たか!何度となく「さつきさんはとても綺麗だね」とか「女優級のビジュアルがある」と言われれば、大抵の男は顔とスタイルで落ちるんだと分かる。中身はこんなのなのにね?私。

 笑顔を取り繕って、答えた。

「下北さん、本当にありがとうございます」

「じゃあ、僕と、」

「はい」

「ありがとうございます!」

 下北の意識は一気に回復されたらしく、ベッドから手を伸ばすと、私の手を握った。

 私の手は冷えている。

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