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YUKIPEDIA

小二で挫折、中二病を引きずり、高二で転落、現在第二の人生を歩む!

『並行』(1)―本当にバカなのは誰だ?

創作-並行

 皆バカだろ、と思う。
 私以外は、全員そうだ。
 そういうスタンスで、生きている。

 H学院大学学術研究所五百四号室にて、私はそう思いながら、他のゼミ生四人を壇上から見下ろしていた。左隣のパイプ椅子には担当教授の外部が座り、私を観察している。椅子には物が書けるように、即席の小さな台が付属されてある。それに向かって彼は時折、何かを書き留めていた。
 私は発言した。
「彼は、『死に至る病とは絶望だ』『絶望とは罪だ』と言っています」
 私の研究テーマは、キルケゴールの『死に至る病』を解釈すること。それは自分で勝手に選び、自分で勝手に考えて、自分で勝手に結論をこじつけて良い。それが外部ゼミの手法で主題だ。自分で如何に哲学的に考え、解釈するかを重視している、と言ったら聞こえは良いけれども、私はその自由と言うか、緩い雰囲気に引き寄せられて外部に付いた。
 皆死ねばいいのに。こう思っているから、私はこの本を選び、日夜考えている。あまり熱心には読まず、キーワードを作中からいくつか拾い集めて、それらを統合して発表。それが私の哲学的思考形式だ。でないと、作者の考えに自分の頭が引っ張られてしまう気がするから。
「前回、夏休みが始まる前でしたけれども、『死に至る病』とは何が結局言いたいのだろうか?と言うのが私の主題だとお話ししましたね」
 主題も何も、無いんですよ。
「私は休みの間、著作からこの二つのキーワードを取り出して論文を書くことに決めました。これらについての考察を私の順番が来たら、これから発表していきます」
 他のゼミ生、特に下北理司の視線が痛い。こういうのが私は苦手だ。他人が嫌い。だから自分の意識に入り込める哲学科に高卒認定経由で入学したと言うのに。
 外部が音も無く立ち上がって、私を真っ直ぐ見て言う。
「上野さん、キルケゴールを選ばれているのは哲学的著書として模範的だと思います。まあ、哲学は自由な分野なので、模範と言うのはおかしい言い方ですが。でも、学生に対してこの本は、僕は薦めたかったんですよ」
「先生、ありがとうございます。でも、何故それを薦められたがっていたのですか?」
「基礎の基礎ですからね。一年生の時に受講されたと思うのですが、哲学基礎講義の『実存主義』を憶えていますか?」
「はい。人間皆がそれぞれ自分の存在意義を持つこと、ですよね」
「そうです、ニーチェはキリストの存在が中心となった考えを提唱していましたが。僕はどちらかと言うと、人間中心として世界が回る考え方を持っているんですよ」
「私も同じです。実際に存在するものこそが、実際に意志を持っていることは明白だと思いますから」
「上野さん、流石です」
 狭い研究所、ゼミ生が全員集合したらそれだけで窒息しそうな場所に、感嘆の溜息が漏れる。
 当たり前だろ!そんなこと。
    私はそう思って更に皆を侮蔑の目で見た。どうしてそんなくだらないことで感心するの?分からない。レベル低いよ。
「僕は是非、あなたの考え方の軌跡を追っていきたいですね。これからの発表を楽しみにしていますよ」
「はい」
 私は黒板の前から去って、自分の椅子に戻った。
「では、次ですね。中村さん、お願いします」
 中村梓沙が私を瞬間に一瞥して立ち上がり、反面不安そうに壇上へ上った。もしかしたら私の完全解答の後の指名に引いているのかも知れない。
「皆さん、私は『飽食は幸せか?不幸か?』と言うテーマで考えることに決めました。何故なら」
 あなたは太っているからでしょう?私は口から決してそんなことは出さないけれども、笑いそうになりながら堪えた。
「飽食、それは食べ過ぎですよね、所謂。私は自分に近いテーマが親近感を持てて考えやすいと思ったんです。私もそうしてしまうこと、よくあるので」
 笑いが研究室に漏れる。
「中村さん、それもひとつの良い主題の決め方ですよ。自己を見つめることで、自己を成長させられますから」
 苦笑いしながら、外部も続けた。
 中村は、夏休みの少し前から、私に対し、良く思っていないような素振りを垣間見せることが多くなった。例えば私が落とし物を拾ってやると、無表情で一言「すみません」と言って受け取る。私を先程の通り、一瞬冷たい目線で捉える。頭悪いくせに。まあ、私の場合は、高校中退生だけれども。
  何故に彼女が哲学をやっているのか理解不能にさせられることが、こちら側からするとしょっちゅうある。彼女の学年は私よりひとつ上で、四年生。その体型でアパレル業界を志望して就職活動を行っているらしい。自分を見つめられてないと言うか、傲慢不遜だ。だからこそ逆説的に、哲学的思考が自分に必要だと思ったのかも知れない。哲学とは、自分との対話だから。
  私はどうなのか?
  H学院文学部哲学科外部ゼミ所属三年生。このゼミで三年生は他に、他山恵しかいない。
  四年生は、ローテーションされるゼミの発表の場で卒業論文の骨格を組み立てて、最終的に二月に外部と学生課に提出する。そうしないと卒業が出来ない。私達三年生は、発表で論文の骨格を組み立てていくのは同じだ。でもそれは卒業論文ではなく、単位を貰う為のレポートとして、外部だけへ提出することとなる。四年生は両者ともの採点を受けなければならないけれども、三年生は外部だけの採点を貰う。それが外部ゼミ、ひいては少人数教育で有名なH学院哲学科の特徴だ。
「ねえ、さつき。中村さんの発表、受けるよね。こう言っちゃ悪いけど」
 小声で右隣の他山が私を肘で突っついて話し掛けた。
「ちょっと、そんなこと言っちゃいけないよ。中村さんは中村さんなりに、考えることがあるんじゃないかな」
 他山は少し眉を下げて、反省した様だった。実は私だって他山と同じことを考えているのに、一体何を言っているのだろうか。  
    私は考えることと言うことが、いつも相違している。こう言ったら他人が喜ぶ、体面が良い、自分の得になる。ああ言ったら他人が怒る、体面が悪い、自分が損をする。それらが即座に分かるから、いつも計算して行動する。そうやって生きているのだ。
 他山は学内テニスサークルの次期部長を狙っている。その割に、留年を避けることにも必死だ。どちらかひとつ、いや、どちらかと言うと留年阻止に重きを置いた方が賢明な気がして仕方ない。まあ、私は三年前期の試験、全部優等評価で通ったし、サークルにも興味がなく、講義が終わるとひとり暮らしの部屋直帰だから関係ないけれども。
  とにかくひとり!ひとりにさせてくれ!
  それが、私の願いで叫びだ。大学時代が早く過ぎることを望んで仕方がない。今や何故わざわざ受験勉強を積んで進学したのかも見えなくなっている。もっと、こう、私には夢があった筈だ。それは一般的に言う楽しいキャンパスライフ、ではなくて、学歴がこのままだと世間的に見てやばいから、と言う強迫観念に取りつかれていたところも大きい。
  でも実際、入学してみると、H県近辺では名門のこの大学、本当に皆さん幼稚で仕方がない。私の精神年齢が高いのではなくて、浮いているのだ。
  男子。何故だろう、坊主頭の学生が多く、素朴過ぎる。ここが地方だからだろうか。
  女子。ブランド物のバッグを小脇に掛けるのが定番。そしてヒールの付いたパンプスを履いて、パステル色のフレアスカートを身に付け、分かり易い世間知らずのお嬢様を気取っている。
 このアンバランスな両性を、H学院は約千人擁している。文系総合大学のここは、偏差値も高く入るのも難しい。それが一般的な評価だ。
「けれどもねぇ」
 私は極小声で一言漏らした。
 どうして皆こんなに愚かでどうして皆こんなに人を信じてどうして皆こんなに鈍いのだろう。その証明に、私の声に誰も気づかないではないか。
 私は高校をいじめに遭って中退した。その時はまだ、私も愚かで人を信じていて鈍かった、様に思う。思うだけで、本当はどうか分からない。元来の性格がその出来事によって表出したのかも知れないし、元来の性格がその出来事によって歪まされたのかも知れない。
 でも、今が大事。今が一番大事なのよ。
 私は自分にそう言い聞かせて生きている。

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